岐阜県海津町一帯は輪中地帯とよばれ,土地の大部分が周りを流れる川の水面より低く,周りを堤防で囲み洪水から土地を守っています。かつての輪中地帯では,洪水による被害だけではなく普段でも水の中での農作業に苦しみました。その中から輪中独特の農業の工夫がされました。その一つが堀田と呼ばれる水田です。堀田は,湿地の一部の土を掘って,積み重ねることによって堀上げ田とよばれる幾分高い耕地を作り,そこに稲を植えるようにしたものです。堀田は江戸時代中期から明治時代にかけて盛んに作られ昭和30年代までは多くの輪中で見られました。
 このような堀田も,明治以降,排水機が設置され必要なときに輪中内の水を排水できるようになりました。昭和20年代後半から始まった土地の埋め立て工事などにより,大型の排水機場が設置されました。そして,大規模な水田が広がる豊かな穀倉地帯になるとともに,埋め立てられた土地を利用したハウス農業も盛んになり,トマトやキュウリなどの出荷額が岐阜県で一位になるなど,海津町は米作りだけでなく都市近郊農業の代表的な町へと変わってきました。

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