夏でも白い雪を頂く白山は富士山・立山とならんで霊峰といわれ日本を代表する山岳信仰の対象として古くから人々の信仰を集めてきました。
奈良時代に泰澄(たいちょう)によって開かれた白山は,平安時代に入り加賀・越前・美濃に馬場(ばんば)とよばれる白山登拝の拠点が設けられ,それぞれの馬場からは禅定道(ぜんじょうどう)とよばれる白山までの登拝道がつくられました。
美濃馬場(みのばんば)では東海地方を始め遠く近畿・中国地方からの信者は,まず,白山の前宮(まえみや)とよばれた美濃市須原(みのしすはら)の洲原神社に参詣し,長良川沿いに北上して,長滝白山神社に参りました。
最盛期には「上り千人,下り千人」といわれるほど賑わっていたと伝えられます。
美濃馬場を出発した信者は,前谷(まえたに)から桧(ひのき)峠を越えて石徹白(いとしろ)へと向かいます。
石徹白は美濃馬場のもう一つの白山信仰の拠点です。江戸時代までは白山中居神社(はくさんちゅうきょじんじゃ)を中心に社家社人(しゃけ しゃじん)の村として信仰に生きてきた村で全域が神社の神領として年貢は免除され,苗字帯刀も許されていました。
白山中居神社から禅定道は山道を通り今清水(いましみず)へと続きます。
今清水にある「いとしろ大杉」は,泰澄大師の挿した杖が生えついたといわれており,推定樹齢1,800年,周囲約13mもある老大木です。
美濃禅定道はここから昔のままの姿で,現在の白山登山道となって白山まで続きます。
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