美しく壮大な山々を自然崇拝の対象として仰ぐ山岳信仰は全国各地に見られますが,霊峰白山も富士山・立山とならんで日本を代表する山岳信仰の対象として古くから人々の信仰を集めてきました。山岳信仰の一つの要素は,源流地にあって水を司(つかさど)ると信じられてきたもので,白山も石川県の手取川,福井県の九頭竜川,富山県の庄川,そして岐阜県の長良川という4つの川の源となっています。
奈良時代に泰澄によって開かれた白山は,平安時代に入り修験道が盛んになると一般の人々にも白山信仰として広まり,加賀・越前・美濃には馬場とよばれる白山登拝の拠点が設けられ,そこから禅定道と呼ばれる白山までの登拝道がつくられました。なかでも美濃馬場であった郡上郡白鳥町の長滝白山神社は,東海地方はもとより遠く近畿・中国地方からも信者が訪れ,最盛期には「上り千人,下り千人」と言われるほど賑わっていたと伝えられます。白山登拝の信者はまず,白山の前宮と呼ばれた美濃市須原の洲原神社に参詣し,ついで,長滝白山神社に参ったあと,美濃禅定道を通り本宮である白山に登るのが慣例となっていました。美濃馬場から白山へむかう美濃禅定道は,途中石徹白地区の白山中居神社を通り,今清水社,神鳩神社をへて白山へと続いていました。今では今清水社までの禅定道は,そのほとんどがなくなっていますが,今清水社からはその面影をそのまま今に残しています。
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