真桑人形浄瑠璃(真桑文楽)は,本巣市真正町上真桑の本郷地区に古くから伝わる郷土芸能です。
 真正町一帯は,美濃山地から流れ出る根尾川が氾濫を繰り返してできた扇状地帯で,砂まじりの土地は水はけが良いので果実栽培には適していましたが,反面稲作には絶えず用水から水を引かなければなりませんでした。そのため,用水は,この地域の農民にとっては死活問題でした。享禄3年(1530)に起こった根尾川の大洪水に端を発した真桑村と席田村(現本巣市糸貫町)の間の用水をめぐる激しい紛争の解決に献身的に尽力した上真桑村の福田源七郎の功労をたたえて演じられた操り人形芝居「義農源七郎」が真桑人形浄瑠璃の創始であると伝えられています。
 源七郎は,寛文4年(1664)から同13年まで井頭(庄屋で用水管理者をかねる)を勤め,江戸表まで出むくこと十有余回,妻子も捨てて顧みず,多大な私財を投げ尽くし紛争解決のために働いたといわれています。
 明治の廃藩置県に至るまで,用水の恩恵に浴した2郡16ヶ村が,毎年村の石高に応じて経費を負担し,2月9日の祭礼の日に八幡神社で行われていましたが,現在は3月の春分の日に,物部神社(八幡神社と合された)で行われるようになりました。
 明治時代以降は後継者が少なくなるなど,保存活動もたびたび危機に瀕しましたが,その度に村の有志や青年団が立ち上がり,昭和55年には古老中心の指導部と青年部,婦人部による保存会も発足し伝承教室や文楽子供会もつくられ,住民総ぐるみで伝承活動に取り組んでいます。

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