美濃国一帯を治めていた土岐氏も8代守護成頼の代となると,応仁の乱(1467)が起き,世の中ががぜん騒がしくなってきました。成頼は西軍方として活躍したが,それは背後で支えたのが守護代つまり大番頭の斎藤妙椿でした。妙椿は美濃国内での対立勢力を排除したり,土岐・斎藤両家の地盤の安定化を図るなど,武人としての力量を周辺に見せつけました。その反面,彼はきわだった文化人でもありました。戦乱の都から脱出して来た文化人たちを保護したり,臨済禅(瑞竜寺派)を広めたなどの功績は大きく,彼がいた川手(岐阜市)の守護所かいわいには,室町文化の花が咲きました。

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