松尾芭蕉は生涯に4度,美濃を訪れています。なかでも貞享5年(西暦1688年)の来訪では,岐阜に一月余り滞在し,長良川で鵜飼いを見物したり,連句の座が開かれたりと,大変歓迎されました。
 芭蕉は美しい自然に恵まれた美濃,金華山と長良川,とりわけ鵜飼に強くひかれたようで,数多くの作品を残しています。中でもこのときに詠んだ「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」の句は芭蕉の代表作の一つとして有名です。
 このとき芭蕉は岐阜の油商「賀島善右衛門(かじまぜんえもん)」の長良川を望む別邸に招かれ,この屋敷を十八楼と命名し,そこから見える自然,漁村や人々のようす,命名のいわれなどを「十八楼の記」として残しています。
 そのときの句が「このあたりめにみゆるものは皆涼し」です。
 芭蕉が滞在した妙照寺の境内には芭蕉が自ら植えたとされる梅の木が今でも残っており,季節になると満開の梅の花が参拝者を迎えます。
 芭蕉がこの寺を去るときに残した句が「やどりせむあかさの杖になる日まで」です。
 この他にも芭蕉は,岐阜の自然や人々への思いを詠んだ句を数多く残しています。
 「城跡や古井戸の清水先とは(わ)む(ん)」芭蕉が金華山の麓にある松橋喜三郎の別邸を納涼のため訪れたときの句です。
 「夏来ても,ひとつはの一葉かな」滞在先の妙照寺で詠んだ句です。
 岐阜市内に残る芭蕉の句碑を訪ね,芭蕉の足跡をたどることにより,私たちは芭蕉と岐阜の知人門人との交流や芭蕉の旅への憧憬,自然や人々に対する愛着を知ることができます。

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