文明3年(1471年),連句の宗匠として知られた飯尾宗祇(いいおそうぎ)は,「古今和歌集」に関する秘事口伝(ひじくでん)の伝承者である東常縁(とうのつねより)から「古今伝授」を受けるために郡上の町を訪れました。3年間の修行を終えるまでの間,宗祇は小駄良川のほとりにわき出る泉の近くに草庵を結び,この泉を愛飲したといわれています。この泉はその後,この故事によって宗祇水と呼ばれ,現在では水の町郡上八幡のシンボルとなっています。
古今伝授とは,古今集の解釈を中心に歌学や関連分野の諸学説を,口伝・切紙・抄物によって,師から弟子へ秘説相承の形で伝授することで,当時,郡上城主でもあり,同時に二条派の歌人としても有名であった東常縁が,初めて飯尾宗祇にこの形での伝授を行ったとされています。
修行の期間中二人は郡上の各地を訪れ,歌を詠んだとされています。
そして,大願を果たし郡上を発とうとする宗祇を宮ヶ瀬橋の袂まで見送った常縁は,次の和歌をはなむけに送り別れを惜しみました。
「もみぢ葉のながるる竜田白雲の花のみよし野思ひ忘るな」
宗祇は,その返歌としてこう詠んだといわれます。
「三年ごし心をつくす思ひ川春たつさわにわきいづるかな」
毎年夏になると,飯尾宗祇と彼に古今伝授を行った東常縁を偲んで,水神祭りがゆかりの宗祇水で行われます。狂俳,連句の奉納のほか文芸祭りや宗祇研究のシンポジウムなど文化活動が盛んに行われています。
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