こういう大東亜戦争で犠牲になったものの気持ちをもうちょっと察してくれな敵わんな。大事な青春時代を、国の為の国策やなんか。そんなふうにして酷い目に遭わされてよ。1か月の日当が、義勇隊のうちは3円や。1か月3円やよ。1年経って36円や。そんな報酬でさ。軍事訓練が多かったとは言いながら、畑はいくらでもはえとれちゅうんやで、あっちの土地はよう肥とって無肥料でなんでも採れるやっちゃで。だいぶ野菜も穀物も、採りよったんやね。生産しよった。そういうやつの金がだいぶ入っとってもいいような気がしたんやけども、微々たるもんやった。
自分体験したことがええことならええけれども。惨めな中国人をあんな目に遭わせちゃってよ。どうせ殺すんやったらそのまま釈放したればよかった、生かして。というようなそういう憤慨するっちゅうか、まあ心が収まりつかんで。そういう経験しとると。(だから日本人もそうやって痛めてきたんやね。あの返しが来ると思うんよ。ほうやけどそん時の思いはどうにもならなんだっていうでね。やらんならんかったもんで。大変やったらしいよ。)死体を焼くときでも、みんな「ええにおいがする、ええにおいがする」って言いよったけども、俺はちょっともええにおいせん。そういうのに携わっとらんものはなんやろなんやろって知らずにおる。(こんなことしてええんかしらと思ったってね。そういう話はようくしたけれど聞いたけど。15歳から行って青春時代は何にもないもんで。)そういうことで、安全保障制度はええかげんにして、日本を今迄通り平和にしてほしいちゅうことは、思うね。一番、そういうことは強く思う。
この開拓の政策でもそうやけども、なんやかんや言っとる上の。昔は特に軍閥主義やったであれやけども、一部の者に引っぱられてまったっていうこと。でこんな大きな戦争になっちゃったやね。勝ちゃええけど負けてまった。(負けた悔しさは何ともいえんわね。もう勝つばっかと思ってね。みんな一生懸命に満州広げようと思って、一生懸命やったんやて。そういう気持ちはわかるよ。ほんとに。そうやけども情けないことにね。日本は負けてまってということやで。まあ仕方がないことやで。それこそ知らん人はこんなん嘘かしらと思うようなことやね。ほんとにね、悲しかったと思うよ。)ほんで義勇隊生活ちゅうやつは、あの苦しい中も楽しいことがたいへんあったもんやで。気の弱い、トンコン(屯墾)病ちゅうやつにね、トンコン病ちゅうやつはご存じないかもしれんが、家に帰りとうてしょうがない病気なんやわ。そうそうホームシック。そういう病気になって帰った者も大勢おるんやね。