戦時中だったら、ちょうど私たち6年生卒業する時に、国民学校ね。国民学校6年生の時にあれやったもんでね、で6年生終わって、地元の女学校へ入ったわけ。19年の6月までその女学校で勉強しとったわけね。で戦争が酷くなったもんで、6月で学校がね、解散になっちゃったの。その女学校がね。その前は女学校行っとっても、山を開墾してね。さつまいもとか、それこそ豆やね。豆やなんかを「今日は開墾に行く日やで」って言って、山の方へ行って開墾して、さつまいもとかそういうものをを作ってね、やっとったんです。それでまだ終戦前の19年の6月までその女学校行って。で6月で女学校が、戦いが酷くなったもんでもう、解散になっちゃったんよ。で、みんなそれぞれが軍需工場へ勤めに行かんならんのね。その時にここの腕章に「学徒動員」ちゅう腕章つけて、「神風」と書いたハチマキつけて、6月に「また会いましょうね」って言ってそこでみんな別れて、4つか5つくらいの工場へ分かれて勤めに行ったわけ。地元では、大きいお寺さんがあったもんで、そこへ兵隊さんたちが来て、お寺で寝泊まりしてみえたの。劇場も全部、その軍需工場で仕事をやってみえたし、私たちおった女学校も軍需工場して、兵隊さんたちがそこで仕事をやってみえたの。その年はね。
【工場では何をされていたんですか?】なんかね機械の部品みたいなものをね、作ってたんやね。