【戦時中辛かったことは何ですか?】辛かったことはね、毎日それこそご飯なんかなかったもんで、大豆のね、配給ってのがあったもんで大豆のご飯。大豆のご飯とかさつまいものご飯とか。ご飯って言ったってお雑炊やわね。そういうのを、戦時中は食べとったの。じゃがいも入れてね。ほんと米はどこにあるか分からんくらいの、そういう食べ物やったんやて。お米の配給制度になって、赤ちゃんから2歳まで、5歳から7歳までって、4段階に仕切って、一日のお米のいただける量が決まってたんやわ。で私たちは、そのとき終戦後に役場に入ったのね。役場に入って、その配給係っちゅうのをやってたんやて。そのときにやっぱしそういうお米とか赤ちゃんにはミルクの配給とかね。そういう配給制度が、終戦後あったわけ。お米も15日分くらいやったね、ひと月にお米が来る日は。あとは、それこそ大豆とかさつまいもとかじゃがいもとか入れてご飯食べるちゅうだけで、お米は15日分しか配給がなかったんよ。
【配給は、終戦前はなかったんですか?】いつごろからやったやろうねえ。私が終戦後、役場入ってから配給の係になったもんで、あれやろ。その前からもあったんやろうねえ。今月は、10日分しか米の配給がないよって言っとったことがあるでね。10日から、今月は15日分お米の配給があるよって。あとは自分たちでね、補って。まだずっと田舎の方へ持ってって、着るものと、お百姓さんのとこ行って、お米とかそういうのと交換してもらってきてね、食べとったんやて。