おじさんの兄さんは、18年やと思ったよ。18年に入隊して、ここのもうちょっと向こうの町内なんやけども、そこからお宮さんへ行って参って、町内の人が旗を持って、「勝ってくるぞと勇ましく、誓って家を出たからにゃ、手柄立てずに帰られよか進軍ラッパを聞くたびに、瞼に浮かぶ、母の顔」そう言いながら、兵隊さんにこうやって、旗を持って、送り出したんやね。これは日本全国どこでもそうやったと思うよ。こんな歌聞いたことないやろ。【お兄さんおいくつの時の出兵なんですか。】20歳で亡くなっとるで、レイテ島で20歳になっとったよ。…ちょっと待ってよ。24歳やったか。24歳か。2年やもんで、22に早もう行ったかな。でその時に奥さんが送った言葉に、「敷島の大和心を人とはば朝日ににほふ山桜花」こういう刺繍したやつを兄さんに送ったんやね。戦争行くときに。敷島のって日本は、昔から敷島のって言ってそういう名称もあったやな。とか山桜花って言うのは、やっぱり日本の桜やということで。そういうことで、頑張ってくれという意味のあれやろうなあ。この言葉は、本居宣長の言葉なんやな。「敷島の大和心を人とはば朝日ににほふ山桜花」っていうのを。それを送って、送り出したんやね。