T.Nさん 学校生活

で、段々段々と戦争が激しくなってきて。おじさんはそん時5年生6年生やったもんで。戦争が激しくなってくるとラジオから、「大本営発表」ちゅうふうにまず出てくるんやな。陸軍の方から。「敵機、B29が、潮岬南方洋上に、数十機」とかいうふうに放送されるもんで。ほして、やがて2時間か3時間してくると、空襲警報言って、愛知県とか岐阜県とかに、サイレンが鳴る。ほうすると、僕らはちょうど学校の帰りやちゅうと、低学年を、ちょうど通学路に山があったもんで、その山に避難するとかさせとったんやね。ほしたらね、カラスヘビって言ってね、山にヘビがおって、真っ黒のヘビ。それがぺぺぺぺーっと木をつたっていったもんで怖かったもんで、今度下級生を道路の反対側の麦畑の方へ下級生移して、麦畑に皆伏せさして、空襲警報が解除になるとじゃあって言って、家に帰させよったんやね。で学校で空襲警報なると、5,6年の人みんな低学年の生徒を、竹藪。竹藪ちゅうのは、根がいっぱい張って結構丈夫いもんでそういうとこへ、皆さんを避難させる。そういう誘導役なんかを上級生はやってたんやね。普段空襲警報でないときは、上級生の僕らはほとんど勉強してなかったんやな。先生に連れられて川へ行って、対岸の方へ石を投げるの。みんなしてずーっと並んで。それはなぜかゆうと、敵が攻めて来たらその石を投げるということをやってたんやね。でも今思うとそんなん向こうが鉄砲撃ってくんのに石投げなんてやったってそんなもん追いつかへんのやけども、それでもやっぱりその時分は、もう一騎団結しとったもんで、それが、敵に向かってやればいいっていうもうそういう信念しかなかったもんで。でそれをとにかく一生懸命、石投げとかを練習したりして。学校へ帰ると、竹槍っていって、竹で槍にしたのを、藁人形に向かってやーっと進んでだーってやって。5,6年のうちはもう空襲警報鳴る以外はそうやって練習しとったの。