A.Nさん 追悼

結局、1番最初に言ったように赤紙一枚。ようするにはがき一枚でね、あんたはここへ、戦争へ行ってきなさいと、国で指令をしてくれたわけやでね。それで行って、戦いで敗れて戦死したわけですけどね。今、国で追悼式とか、市でも今度10月2日に追悼式が。市もやってくれるんです。ほれから県は、あの岐阜で10月の23日やったかな。それもやってくださる。ほいで国では、8月15日。もうじききますけど、私も行ってくるんですけど東京の武道館でね、追悼式をやってくれるんです。言ってみれば、我々は当たり前の事やと思っとるわけですけれど、まあそれに対していろいろな反対派もあるわけですけれど。出発するときの誓いとしてはね、やはり「俺たちは、靖国神社で会おう」ということで。亡くなったら靖国神社でという気持ちで出征していったわけです。その靖国神社は、今は総理もいろいろな反対があって、内外の反対もあって行ってはいけないということでね、我々遺族では、とにかくそんなこと言わずにとにかく、総理が国の代表としてひとつ、行って参ってくれるのが本当じゃないかということでお願いしとるけど、なかなか内外の反対でよう行かれないということは、非常に我々は残念ですけどそれで、日本武道館で、別のとこで追悼式をやるというかたちを今は取っておるんです。

まあだいたい、大体って言ってもそりゃまあ話しよるといろんなことが浮かんでくるもんでね。さっき言った、空襲で逃げ回ったこと、防空壕でもとにかく空襲警報が鳴るとすぐ防空壕へ入るのがひとつの鉄則でしたもんでね。途中で食べ物ないと、桑いちごを食べたりね。桑いちごっていって、桑にいちごがね、小さないちごができるんです。(今は桑があらへんわ。)ああ、桑があらへんか。あれも食べた覚えがあります。あんなもん食べれたもんやないですよ。(食べるもん何にもないでな。)何にもなかったんやでね。芋っちゃあ蔓まで食っちゃうんやでね。ほれから、甲羅キビって。(あのころはキュウリが食べもんやったね。)ほんとやて。キュウリとかそういうもんはね。比較的すぐ成りよるもんでね。