K.Oさん 連れ

生きておれるだけの空気を吸っとる。今でもね。こんなもんで吸っとる。まあこういうことで、男は日本中でも少ないの、今現在90越せるのは。男は80代で亡うなってまって、90ゆうとよう越さん、なかなか。おじいんたの同級生でも、おととし12月までに、その前年91ていう年に7人亡うなった。8人おったんやけど。でおじい1人残っただけやった、92の年に。だいたい90は容易に越せんなあと思って。山之上ばっかやないよ。古井も川辺も太田も連れいっくらでもおるでおじいには。福田さんもや。そうやってみるとそれが、おらんようになってまった。おれんかおらんか分からんけどね。戦争と両方で。

別にね、戦争に行かんとっても情報はどえらいことある。当時新聞を見とる。テレビはないでラジオだけ。そのラジオも無い家が多かった。ここへ天皇陛下の玉音放送でテープを持ってきてやっちゃる。今度、皆で聞くようにって。おじいちゃんは、今でも本が好き読むことが。皇室図書出版協会ちゅうとこで、昭和天皇、天皇陛下の本をいろいろ買ったら、録音テープを2つ送ってくれてあったで。ほんでそれがひとつは、終戦の?っていって、まあ負けようさといったときの、天皇陛下のお言葉のね、録音は持ってきたるここへ。みんな忘れちまっとるでいっぺん聞かせようちゅうて。ほんでおじいちゃんの兄弟は戦争で亡うなっちょるで、そこに毎年、昭和60年からおととしまで行きました。おととし末に患ったもんやで行けんようになってまった。ほれでもまあ去年と今年はおじいの子どもが行った。靖国神社は毎年行くで。今度の15日も、子どもは東京へ行きます。美濃加茂で5人かそこら行くやつ。お姉ちゃんはどこや。古井の本郷町。あそこらにはだあれも、おらんなあ。おじいんたの連れでもまあおらんもん古井でも。下古井にひとりおる。

おじいもよっぽど記憶しとるつもりやけども、書いて残いとかんであかんのや。書こうかなーと思っておるだけで、生涯の思い出として。