M.Iさん 避難後の生活

ほれから今度は、春日井市へ。春日井市の勝川町へ行って、そちらの町営の住宅に住むようになった。そこで8月15日の、終戦を迎えた。だから、終戦を迎えたのは、結局3年生の時なんやね。3年生の時にそこで終戦。今度そこ行くと、春日井市やと焚きもんがないもんで。今度は自分たが生活に焚きもんがいるもんで。常光寺。勝川から入ってたら常光寺あるわね。そこへ、大きい袋を持って松ぼっくりを拾いに行った。それが焚きもんなんやけども。で松ぼっくり一升あると、お米が一升炊けると。ていうのは、松ぼっくりは中に種が入っとるころにだから、火力が強いんや。火力が強いもんでそのくらい。一升あれば、ご飯が一升炊ける。子どもながらに、拾いに。でお百姓さんのとこなんか焚きもんもあらへんもんで。お百姓さんのひとは、桑の木の枝とか小麦作っとる、その殻。そういうのを燃やして、焚きもんをしていたんや。勝川の近所でね。昔は米穀通帳ちゅう、米の配給を受ける。米穀通帳を持ってって配給を受けるんやけども。1か月のうちで、お米は10日。…(沈黙)……で、さつまいものかす。あれとかね。で、小麦を10日分。そういうふうに分けていった。そんで、芋乾燥したやつをご飯に混ぜて食べたのね。ご飯の中入れて炊くと、ご飯は黒いご飯やったね。芋で黒くなっちゃうの。そういう生活をしたんやね。生活をしたのが、23年までしたんかな。その間食べるもんもないから、いろいろ昔は田んぼで蓮華やなんか作っとったわね。蓮華は採ってきて、お浸しにしたんや。で食べたり。今のこういう道にも食べれる草が。そういうのを採って来て食べたり。23年に、おじいさんが川辺やったもんで田んぼや畑が残っとる。でそれからの食事をあれしながら、川辺に越してきた。そういう体験をしてきた。