【終戦の時は、春日井にいらっしゃったんですか?】終戦の時は、ちょうど春日井に移ってた。駅の裏んとこに、かつらそうってそこへ移った。だから焼け出されるまで名古屋におるうちは学校へ行くと、警戒警報になる。警戒警報になると、運動場に分団で並んで、分団別で家へ帰ってった。空襲警報が鳴る前に、いっぺん警戒警報ちゅうのが今、敵がこれから攻めてくるよちゅう、予告がある。学校へ行くときは、今のような名札やっぱり付けてるんやけども、名札に住所と血液型が書いてあった。でもし、何かあったときにどこの誰かわかるように、今の何年何組なんのたろうとかそういうんやなしに。そういう名札を付けとる。で鞄と、ランドセルと防空頭巾と、両方持って学校行った。だから学校へ着いたかしらと思ったら、すぐ警戒警報鳴るちゅうことも。ちょっとやっとって、鳴ると。分団別に運動場に並ぶんやけども、あの時分は給食やったもんで、給食のコッペパンちゅうやつをみんな一つずつもらって家に帰った。名古屋城の後ろには練兵隊があったもんで、兵隊さんの駐屯しとるとこがあった。B29が来るとそれを打ち落とすっていって、照明を下から、対象灯ちゅうやつを照らす。で下から大砲を撃つんやけども、高いから届かん。ほうして今度はB29が、対象灯目がけてウワーッと急降下してくる。そういうことの繰り返し。
それから勝川いって終戦になる前に、名古屋の庄内川。お馬さんのえさの草をいっぱい学校持ってかなかん。草を刈ってお馬さんのえさに。えさを学校持ってく。でお茶の実は、飛行機。航空機の燃料になる。で学校に持ってった。庄内川に草刈りに行って、袋詰めて今の線路伝いで戻ってったら、艦載機って言ってね、人目がけて、バリバリバリバリって。だけども、艦載機が来たって僕ら知らなんだ。田んぼでお百姓の人が、「あんた、すぐ隠れなあかん、隠れなあかん」っていって言われて、中央線の途中にちょっとした鉄橋のようなのがあるもんで、その下へ逃げたの。ほんで艦載機が行っちゃって、あそこの、名古屋から艦載機がずーっと来て、だいたい多治見の方へ行く。多治見の中央線を機関銃でもってバリバリバリって。完全に人を狙ってきたの。ほういう体験を。
【馬は、何の馬ですか?】兵隊さんの馬。軍隊で兵隊さんが使っとる馬のエサを。お茶の実は飛行機の油を。搾って燃料にしとったんやね。それをみんな拾って持って行っとった。そういう体験をした。
ちょうど自分の家から今の名古屋城まで逃げるのは、3キロくらいあるかなあ。そんなけのとこで。でもう逃げたとこに行ったら、みんな町内会の人が「逃げてきた」ちって、市原さんとこのじいさんて…(沈黙)……びっくりされた。そうやって連れて行ったもんで。だからその時分が一番、苦しい時代やったね。