N.Iさん 岐阜空襲と名古屋空襲

戦時中一番怖いなと思ったのは、岐阜の空襲の時。岐阜の空襲の時は、いつも伊深の空の上を、何機飛行機が行ったか分からん。飛んでた。それは爆撃機やなしに、小さいね、グラマン戦闘機やったと思うけど。大きい爆弾やなしに焼夷弾。燃やす。バーンって破裂して壊してしまうんやなしに、爆弾落として火をつけて燃やすという、そういうあれやったと思いますので。その様子見たら、そうかなと思って。あれが、破壊するんやなしに消失させるための空襲やったかなあとね。それが何機も飛んどるもんで、一機や二機やないわけやな。何機来たかそんな覚えもないけども。当然間違って爆弾落とすかも分からんし。そういう怖さは、そのときもあった。一機や二機ならいいけども、それがもう、かなり長いどのくらいの時間やったか。そう思いながらね。でしばらくすると、西の方の空が夕焼けで染まったんや。赤くなって。そのくらい、岐阜の火事はすごかった。同じことが名古屋の空襲のときにも。名古屋の方の空が、伊深から見てもずっと山の方が、あかあかとしとった。そのくらい一斉に燃えたわけやね。名古屋は2回そういうのがあったと思うけどな。

【名古屋の時は、(伊深の上を)飛んでいかなかったんですか?】名古屋の時は、飛ばない。名古屋の方は大きい爆撃機で。今の自衛隊の飛行練習はうちの上よう通る。やっぱり、飛行機の飛びやすい場所かなと思ってみたりするけども。とにかく岐阜の空襲のときは、うちの真上とは言わんけど、どの辺飛んだか真っ暗ですから。飛行機は小さい明かりをつけてるけども。そんな外へ出て見とるのに叱られちまうような状況ですから、家の中で。今の中学1年生のときでした。【防空壕ではなく、家の中に逃げた?】うん。自分の家にはそんな避難小屋も何にもないですから、家ん中に。まあ伊深のような田舎ではそうです。中には山際に家のある人では、家の裏に横穴を掘って避難小屋にしたという話を聞いたことはありますけど、まあ伊深にはあんまりそういう家はなかったですね。家がずっと並んどるわけやないもんで。