S.Fさん 山の上の日記

一番記憶があるのは、あの当時百姓やもんでお蚕を飼っとったね。養蚕をね。やで桑を摘んだりいろいろして、朝早う行ったり夜遅う行ったりそういうことやって、お蚕に桑をやってみえた。そこへ召集が来ましたよっていって、持っていかないかん。本当に……そら名誉っていや名誉やけども、気の毒なような気がしてね、僕が数えの19かそこらやもんでなんちって言ったらいいや知らんと思ってね、それと山之上やもんで山のようなところも通って越えていかんならんやら。ほんやもんで、恐ろしいやらいろいろで苦労して行った覚えはある。判をもらって帰ってきて村長さんに、「朝、こういうふうで召集を持って行った」って言う。そういうようなこと。

それからね、空襲があるんだよね。その当時サイレンは無かったもんでね、火の見やぐらがあって、高いところやでね。ほんで.空襲警報がやれちゅうて、これも山之上では、古井の駐在所やったかどこやったかから、連絡が来る。ほんで山之上と古井と下米田は一緒に呼び出いといて、何時何分に空襲警報が発生なったで処置しよというようなあれが来るわけよね。はっきり覚えはないけれども、それから火の見やぐらの鐘を打たんならん。空襲警報のはどうやとか、鐘が鳴らすやつが違っとるね。そういうことも宿直のあれでやらんならん。日記もね、何時にやったとか誰がとか、召集令状が来たやなんかも、山之上の日記があるんやね。そういうことを書いて、次の朝村長さんに、こういうことやこういうことをやったって言って報告をしよった。