S.Fさん 配給係

それから戦争がだんだん激しくなってね、僕ら役場におって、いろいろ主食やとか副食も含めてやけども、配給制度が。これは本見とるっちゅうと、国家総動員法っちゅう法律が国で13年の4月に出とる。そういう法律に基づいて、いろいろまず第一は米の配給制度。それから2番目には副食関係。副食ちゅうと味噌やとか醤油やとか、酒やとかあらゆる食料品やね。そういうものを、今は自治会長ゆうけど昔は組長っていうね。その組長に連絡をしてね、店があるもんで店へ出したりいろいろして。まず1番始めは主食っちゅうと米やわね。ほんで米の配給制度、これは昭和16年の4月より改正したということですが、僕は遅く入ったもんで、前の配給係の人があったもんですからその人がやっとって、その人が現役で兵隊に行かれた。ほんで後を僕が、村長さんが「お前配給係やれ」って。ほんで配給係をやった。僕は19年の9月から配給係になってね。こういうのはどこも全国的やわね。配給主任で入った。

特に山之上あたりは農村部で米を作っておる人が大部分やったもんでね、もちろん供出制度もあったけども、名古屋とかああゆう町から、もう名古屋には空襲やなんかいろいろあっておれんで、親戚が山之上にあるで行くで、頼むって。そうやってみえる。そういうやと、配給係や何かでも、転出転入ちゅうね、役場へ行ってどこどこに行くで転出証明をくれとゆうことでもらって、その行く先へ持っていくわけ。役場へね。今度役場では、それを見てこの家は大人が何人で子どもは何人でちゅうやつがあって。その基準でね。もう昔のことやで忘れちまってあれやけども、この配給は法律で決まったのはね、大人一人はね1日2合3勺の配給があった。ほんでそういう転出証明持ってみえるもんでもらって台帳作って、その家は、こういう人がみえて米がどんなけいるっちゅう、配給の日にちやとかいろいろ決めたり。それと同時に味噌やとか醤油やとか砂糖や酒やとかいろいろそういうものを配給に来やあたらいろいろやった。

煙草やとかそういうもんまで配給をしとったの。僕らの先生やなんかが、煙草買ってきてくれとか頼まっせるときがあるわね。そうすると煙草屋へ買いに行っとたわ。まあそれは配給制度になる前行きよったけれども。これは僕の家に買ってあって、いろいろ見よったらこういう本があったもんで。その当時のことがこう東海百年っちってこれ毎日新聞が当時に出しとったやつね。これ買っとったもんで家にあったわけよ。まあ当時の事やもんで。統制経済が始まってきたということやとかね。配給を国で決めてね。供出やなんかで割り当てがあるでしょ。あんたんとこは何段何r作っとるで米は家で食う分はどんなけで、あとは供出をしなさいということで供出をしよった。そういうことが書いたる、これ。

ほんで白飯やったけれども、7分づきにして食べなさいと。量も少なくなるもんでね、白い米にすると。いろいろそういう細かいことが書いたるわ。僕らは家で百姓やったもんで自分家でつくようにやっとったもんで、そういうことはあんまり記憶にないけれども。そういうことが書いたるけどもね、で他に国家総動員法いう法律ができた。ほんでこういうことが書いてある。配給の主任者係やってね、加茂郡なら加茂郡の県事務所があったもんでね、今でもあるけども。そういうとこの係を召集していろいろ指示をして。その通り役場に配給をもらってきた。ほんで配給の日にね、朝ちょっと遅れて行くっちゅうとね、どえらいほど玄関に待っとってね配給を。チェックしんならんでしょ。この家はそういう米の通帳を持ってみえる。やもんでそいつにあんたんとこは何人で、何じょう何合やちゅうやつを書いてやらならんだよ。そいつを書いてやることはその他いろいろやけれども、そんなようなことをやっとったし。それからだんだん時が経つにしたがって衣類、シャツからいろいろそういうもんまで配給になった。