兵隊は、わずか2ヶ月ちょっとかなあ。5月6月7月8月、やで2か月半。けれどそのうちに、誰も経験せんことを経験してきたわけ。
今の中学3年生。今は中国東北部やけども、元の名は満州国ちゅうの。これは日本の政策で、どえらいあっちの方へ兵とかやって進めて。侵略やったんやね、今から考えてみると。ほんでそれにえらい興味を持った。家出てかなかんちゅうこと何にもなかったけども、行ってみとうなって。今で言うと何かなあ、中学1年や。その時に志願をしたんや。でそれからその次の年に予備訓練。今の加茂農林高校やったな。あそこで宿泊訓練を受けて、学校の勉強どころやなかったけど。昔は尋常高等科1年が、中学1年や。高等科2年が中学2年やね。ほんで大体は、現在の中学2年になれば卒業ちゅうことになったけど。金のあるものや頭のいいものは、みんな高等科3年て。あとは中等学校行くとか、職を見つけるとかそういう時代やったもんでね、私は、満州の大平野へ行って働いて、ちいと名をあげて親たちを呼んで、第二の故郷を創るという。そういう気持ちで出て行ったんやね。うん。その満蒙開拓少年義勇軍に三年間。これはそういう規則があって。三年間たてば、各個人一人に30町歩の畑が無償でもらえて、そこで1代過ごしてもらう。そういう約束やったけど、何にもならなんだちゅうことやけど。そんなで満州へ出てったんやね。土地がもらえるどころか、やったことはみんな軍人の訓練と同じように、まるきり兵隊そのものやったんやね。それが3年間。ほんで3年過ぎて、入植する土地が決まって、6月に入植して、初めてくわを手にすることができたちゅうことや。そのうちに3年間に1度、故郷に帰れるちゅうことで、家に帰ってきて1ヶ月ほど遊んで、帰ってったわけやけど。その年、高等科2年。内地の人たちよりも1年か2年早めに軍隊へ入らなかん。で喜んどったのは、甲種合格にはならなんだ。身長が足らなんで。わずか1m53で、人に笑われるような小さい男やったもんで。乙種ちゅうので。この乙種ちゅうのは、軍隊で言うと2番目の段階やね。1番が甲種合格。乙種は2番目。ほんで3番目になると丙種。そのあとはまあ軍人になれん。病気を持っとるとか肢体が不自由とかそういう人たちやったね。