S.Wさん 帰路

こうやって地図整理してみるとあれやな。俺はずいぶん遠いとこまで行っとるな。(70年にもなるんやねえ戦後から。命があるでまんだ。そう思いながら。)これをこう登って。南の方は行かん。ちょっと地図細かいでわからんかもしれんが、この国はご存じのようにどえらい広い国やで、地図にするとこんなやさしいとこにはいっとる。今まで話いたのはここまでの話やね。ほんで爆破終わって有蓋車に乗って、このハルピンまで戻ってこういうふうに行って。ここら辺まで来ると積んできた食糧、米だけやけど無うなっちゃって。これは話すとずいぶん日にちがかかっとるんや。ここ、おそらく10日くらいかかっとるんや。それで余計盗られちゃったんやね、食糧。ここは歩兵部隊があった、最初に入ったとこやけど、これをこのまんまずーっと来て、ここまで10日くらいかかって。普通ならそんなにかからへんね。ここからずーっと行って、朝鮮の先の釜山までいくんちかかったかな。10日やな、10日間かかって、釜山からはその日に家まで帰れたで。この図們てとこで汽車が止まって。もう1日たっても2日たっても動かん。どこへ行って米を積んできたのか。トラックで行っとるもんやで、まさか朝鮮までは行きゃあせんでこっちで行って。まあどんくらいかかっとるか知らんツウカのどこかで、食糧を確保したんや。ほうして帰ってきて積んで、いよいよこの朝鮮半島へ入るわけやね。ほんで真ん中あたり入ってどこや。ここの間でも、今度は朝鮮人が竹の竿に材木をくすげて動かす鉤で、今のようなビニールの袋あらへんもんやで、藁で作ったカマスちゅうやつやね。あれはぽーんってやるとよう引っかかって、ひっぱりゃそのままずーっと引っ張れる。そいつで入口のとこに積んどるもんやで、もんな引きずり下ろいてまう。ほんでこっちから何もすることない米こぼれるとべーっと顔にぶつけてやるだけや。そんくらいにしたりして。トイレもありゃせんし。

そうやって朝鮮入ってからも、とにかく1か月。このハルピンのヘイボウから釜山まで来るまでに1か月もようかかって帰ってきた。ほんでその内にはいろいろな笑い話があるわ。駅止まったたんびにトイレにみんな行くけれども、まあ小便の場合は何処でやっても男やでどうっちゅうことは無かったけれども、大便のが板があって、雨が降って水が溜まっとる、そこでするよちゃあ、跳ね返りがびゃあっと上あがってきて、尻が…はっはっは。そんなやつがね、しゃあないでしたけれども。外じゃ野原行ってしてきた方がええけど汽車がいつ出るか時間がちょっとも分からへんのやね。ほんでそんな苦痛を感じたり。有蓋車ってここ戸を開けたり閉めたり。ほんで小さい窓があるんや。ちょうどここに棒が2、3本あって。ここで尻出して大便するんや。小便もそうやったけれども中で寝たり起きたりせんならんで。ほんで米はここで盗られる。そりゃ中のほうに入れりゃいいゆうものの、夜になると大陸はどえらい寒なってね。風邪ひいたり、病気のもとになる。ほんで中の方は自分たが寝たり起きたりする。昼間だけ暑てかなわんだけやけども。ほんでここへ食糧や自分の持物積んだるんや。まあそういう状態の中で1か月と8日かかって山口県の、萩ちゅう小さい港や。それももう船は今の1万tや2万tなんていう大きな船じゃなしに、ちいと嵐がありゃひっくり返ってまうような。上陸用の船乗ったまんま大きい船へダーッと乗り込んで行ってまう船。なんか小さい1艘に10人くらいずつしか乗れん、それで帰ってきたんやね。まあ沈んで死んでまったらそれまでやっていうつもりで、帰ってきたけれども。

ほれでここに着いてまた、訓示が「今までしてきたことは、家内も友達にも誰にも話すやない。自分でしまっとけ、死ぬまでしまっとけ。」そういうことを言われてね、ほんで誰かに話したい、誰かに話したいことは話したいってそんな気持ちで、とにかく過ごしとった。ほんで太田の佐々木書店ちゅうとこ行ったらこれがあって、偶然目に留まったもんやで。「あったあった。」って。まあ、普通の人は、こういう尊い本があるのに全然読まへん。ここに書いたるのまったく一字も違わへん。やってきたことが。(読んでもらいやわかるやら。)ちょっと読むのえらいか知らんが、読んでね。  『日の丸は紅い泪に』

…ここで3年訓練をして今度、3年終わって入所するのがここ。まあ北も北。まるっきり端っこやね。ええとこやったここ。ここが1番楽しいちゅうか、いよいよ力入れてやれるちゅうとこやでそりゃ生きがいがあったわけやね。ほんでここが1年とちょこっと兵隊に行くまで。あとこれはこの訓練所におるときに、最初にここへ行ってここで軍用道路作った。あのまるきり奴隷みたいなもんやわ。軍隊に使われて。ほしてここでは軍用道路つくって。

関東軍ちゅうのは軍隊のうちでも、内地の軍隊よりも強い軍隊ちゅうことで、有名やったんやね。ところが戦争に負けるときは弱いもんや。もっとも弾薬もないし、兵器も剣やない、竹のさややった。剣を入れるさやが竹で作ったるんや。ちーと飛んだりすると竹が割れて剣が出て、自分にくすがるようになってまう。そんようなんしかあらへんかったんやで。軍隊としては強いあれやったかもしれんが、もう私んたが行った頃には弱いもんやったからね。その代り絞ることは十分絞られて。とにかく青春時代を全部、こういうことで過ごしちゃったんやで。それであの、人生のうちではどえらい被害を被ったと思うんやね。