T.Mさん 戦時中の生活

私はね、戦争中は小学校の3年4年5年…そのころやね。6年までかな。そのころまで、ずーっと戦争やっとったね。終戦の時に今の中学1年生やったね、8月に。ほんやもんで小学校の時の体験っていうとね、どういうことがあるやら、生活か学校か。例えば生活、家やと、私は百姓の生まれやもんでね。農家やもんでね、お父さんお母さんが農家やったもんでね。食べるもんは米作っとるでしょ。別に全然、供出はするけど百姓沢山やっとるもんで食べ物はそんな苦にならなかったのね。制限受けなんだの。食べ物は良かったけど、例えば学校行くとなると、服とかズボンとかそういうのは無いわけやら。それと履くもんがないもんでね、もう3年生4年生ごろから草履を作って履いたんよ。自分で草履を作ってね。おじいさんおばあさんに教えてもらってね。藁を綯って縄みたいに綯って。両方でつないで。前でこうやって足に掛けといてね。学校へずーっとはいてったんやよ。履くもんないもんでね。買うもんないし履くもんないもんで。そういうことをやっておったのね。ほんとそれ終戦ちょっと前1、2年くらいかな。そういうことずっとやっとったでしょ。みんなそうやわね。全員が学校行く人みんなないもんでね。服なんかないでしょ。昔はお蚕があって桑の木があったね。桑の木の棒を切ったやつを皮をむいて、それを供出で出しよったの。それで服を作ってもらうの。幸い家はお蚕を飼っとったもんでね、おばあさんが織物をちゃんと織ってね、それで服作ってもらった家で。そういう覚えがあるね。ほやけど、そんな桑の木なんか出して作った服は、全部クラスへ来てね、抽選やの。抽選でしか買えんもんでね。1年に1着2着やと抽選やもんでね。なかなか当たらへんの。みんなが。当たらへんもんでなかなか貰えなんだ。そういう覚えがあるね。

それと例えば、仕事がね、みんなああいう子ども達がおってね、食べるもんが少ないもんで、大豆を道路の両端に穴掘って蒔いて、そんでそれを収穫して上で出しよったんやよ。教室っちゅうかね。みんなで作って出しよったの。普通の道路あるでしょ。あのころは舗装してないもんでね、じゃりじゃりの道ばっかやもんで、その1番端の草生えるとこね。あそこんとこに穴掘ってね、豆をかすかにつまいて、それに燃やいた灰ともみ殻両方混ぜたやつを、上へぱっぱっと肥代わりに、生えてきてそれで大きくなれるようにやってね、ほんでみんなで収穫して学校へ出しとったんやよ。そういうことやっとったんやね、子どもでも。