あとは、一番最後の8月の今頃やね。この辺もしょっちゅう空襲があってね。名古屋の方も空襲やったね。岐阜県もばーんとサイレン鳴って、名古屋の方の焼夷弾が落ちてね、燃えるとこの、赤いやつがばーっと燃えるとこだけ、見えたね。山之上高いでしょ。赤くなってね。「あ、今日は名古屋が燃えとるな」って言って見とったけどね。直接飛行機は来ん、B29が高いとこ行くだけで。まあ、「これ日本負けるかな」と思ったね、その時は。あとほんとに、終戦の8月の10日ごろになるとこの辺も艦載機が来たよ。ダーッと来てね。太田の駅でも亡くなったもんね、駅の人が。汽車のとこへバババババーっと撃ってね亡くなった人が。広見でもね、たくさんのドラム缶に鉄砲で撃ってね、もう油がバーッと燃えて火が出て燃えよったけどね。それも覚えがあるんです。それから爆弾の落ちた不発弾がね、山之上の古井の天狗山のこっちらへんね。あそこにもちょっとおったんやね。みなさん言っとったし。私たちは大きい川がないもんでね、池へ水浴びに行きよったんやね今頃ちょうどね。ほうすると艦載機がビョーっと来てね、ブオーンってこの太田の辺をバリバリバリとやってみえてびゅーっと私ら山へ隠れよったけどね。おそがいもんで。ほんと人が見えるくらいやったよ。人がちょっと見えるんやね、飛行機でね。もうこうなると「日本はあかんな」と思っとったね。それまでは絶対勝つって言っとったけど。そういう体験があるね。恐ろしかったねそういうときは。どこ狙っとるや分からんもんね。あとは直接何にもしとらんもんでね、うちらは。そういったこととか、道路に豆蒔いたとか、そういういろいろ。なんといっても小さいでね子ども達。私らも分からんでね。学校行っても運動会なんか無かったもんねその時は。その戦争前はね。