T.Nさん 兄の出征時の記憶と家族

【お兄さんは、志願されたんでしょうか?】志願じゃない。徴兵制度言って、もうこの時分なると、お前は兵隊になれっちゅうふうに、赤札っていってこういう召集令状が来るんやね。それが来ると、もう逃げれない。絶対に行かなければ。召集令状って言って、こういう令状が来よったんやね。これは、普通は赤紙ちゅう言いよったんやわ。赤紙。赤紙赤紙ちゅう。でこれが来たら絶対に逃げれんわけ。うん。もう絶対に入隊せんと。あなたはどこどこどこどこへ、これはうちの兄貴は二十六連隊だな。に入りなさいっちゅう。それが来ると三日以内くらいにはもう行かならんもんで。その間にもう早やあれやけどもわかっとるもんで、皆さんに日の丸の旗をやって、千人針をこうやってやってもらって、それを腹に巻いて、兄貴は、今ゆう「敷島の大和心を人とはば朝日ににほふ山桜花」ってやつと一緒に腹に巻いて、戦地行った。で、その時にみんなが、「勝ってくるぞと…」って言って、旗を振りながら、今のこの、駅まで、送ってった。ほんでちゃんと、憲兵が来るもんで、二十六連隊っていって分からへんやろ。ぽーんとくるだけやもんで。ほんで三日以内に入りなさいやもんで。でどこ行っていいかわからへんもんで、ほんでちゃーんと憲兵が来て、連れて、入隊させた。もう全然この時分はそんなような徴兵制度やもんで、志願なんていうもんは全然ない。で、志願っていうのは、さっき言った若井ちゅうんが、予科練に行ったの。今ゆう、中学卒業するとあの時分は、六年生の時には中学ってあったんかな。すぐ高校やでな。高校の方へ行くのか、そういう予科練へ行って。これを、志願やわ。志願して飛行機乗りの勉強するんやな。そういう二通りあったんやね。そういう志願、もちろん志願と、徴兵制度とあって。もう兄貴んたは、もう早や二十歳ごろやもんで成人しとったもんで。ほんやもんで徴兵制度しかない。で赤紙が来ると、もう嫌でも行かなかん。兵隊に行ったもんで、結局それがもとで、病気なっちゃって。心配で心配で心配でかなわんもんで。で病気なってまって、早よ死んで。ちょうどキヨ子ちゅう名前の娘もおったんや。で僕ものすごく大事にしとったんや。で大事にしとったけども、結局きよこも、あれいくつや、三つか。四歳くらいか。四歳くらいで死んじゃった。亡くなった。一家全部死んだ。