その時分は町内ではね、今「絆」っていうけど昔はね、一軒一軒にどこの家もこの防火用水を作らないかんかった。ドラム缶とか、水桶とか。で、もし焼夷弾が落ちたら、これを皆さんが、バケツも用意してあるもんで手渡しで、その町内の落ちたとこへ、消さないかんちゅうことで、各家庭でこういう防火用水ちゅうやつを必ず作らないかなんだ。そのときに、「向こう三軒両隣」ちゅうのを、昔はよく言ってたの。それと同時に、「とんとんとんからりと隣組廻してちょうだい回覧板教えられたり教えたり」って言って、いろんな、戦争の避難とかやるのを、町内ごとにこうやって連絡しあって、待機しとったんやね。で、いざ、このへんでも空襲警報で敵機が来るようやったら、皆さんと一緒に逃げて、団結して、戦おうっちゅうような気持ちでやっとった。こうやって、お互いに助け合おうちゅう気持ちで頑張っとったんやね。