松尾芭蕉の弟子である広瀬惟然は無一文でここへ飛び出してきて、生活用品をそろえるお金もなく、鍋や箸など7つの道具で最低限の生活をしていたことから弁慶の七つ道具に因んで「弁慶庵」という名前がつけられたそうです。
昭和43年に関市指定史跡に指定されています。
小さな家の中に実際に広瀬惟然が使ったとされている道具や詠んだ歌が展示されています。
中には貴重なものもあるのでぜひ自分の目で見てみてください。
中には貴重なものもあるのでぜひ自分の目で見てみてください。
囲炉裏の自在鉤の多くは魚の形をしていますが、
弁慶庵のものはひょうたんの形をしています。
弁慶庵のものはひょうたんの形をしています。
実際に広瀬惟然が暮らしていたためか、居心地がよく心安らぐ空間でした。
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